だって高齢出産だもん ~高齢出産のメリット&デメリット~

不妊治療・体外受精・高齢出産・出生前検査の現実は、本や報道とは少し違っていました。そんな体験や知識について書いていきます。

胎児に異常があるからといって、殺す権利があるのか?

羊水検査には流産のリスクがあります。

大事な赤ちゃんをそんな危険にさらすなんて。

流産されるくらいなら、ダウン症でもいいから生まれてきてほしい。

そんな気持ちになっていました。

 

でも、妊娠前にはこんな気持ちはありませんでした。

検査して、異常があれば中絶しようと考えていたのです。

それが、妊娠して、エコーで赤ちゃんの姿を見て、母性が出てくると、変わってしまうんですね。

 

出生前検査は、抑圧的に行われるべきである。

という見解があります。

「検査したよ」と大っぴらに、堂々と実施するべきではない、ということです。

出生前検査をする大多数の人は、異常があったら中絶を選ぶそう。

つまり、遺伝子異常のある子どもなら生まない、ということですよね。

そんな風に、遺伝や障害をもとに命の優劣を決めてはならない、という倫理観があるのです。

 

考え方としては100%賛同できるのですが。

じゃあ、実際に自分がダウン症の子どもを育てられるか。

真剣に考えました。

軽度のダウン症であれば、問題ないと思いました。

重度のダウン症だったらどうしよう?

でもそれって、生まれてみなくちゃわからないし、交通事故にあったらどうしようって考えるのに似ている気がします。

なったらなったで受け入れるしかないよね、と。

 

ところが、夫や親族に相談すると、気乗りしない返事が返ってきました。

遠まわしに「異常が事前にわかるなら、中絶してほしい」という意思が伝わってきます。

私だって、実際にお腹に赤ちゃんを身ごもるまではそう思っていたのですから、自然な反応だと思いました。

でも、ダウン症の子どもを育てている親たちのブログで、「どんな子たちでも俺たちの子どもだ。一緒に育てていこうと決めた」という記事を見て、うらやましくなって、泣いてしまいました。

そういうのが、本当に人間らしい、あたたかい、まっとうな心なんじゃないかなって気がして。

 

中絶できない時期になるまで、お腹の子を抱えて、どこかへ逃げようかとも思いました。

離婚しても、一人になっても、なんとか育てたい。

検査さえしていないのに、想像だけで泣いちゃって、胎教に悪いったらありゃしない。

 

そのうちに、出生前検査が存在していることが憎くなってきました。

だって、検査がなければ、生むしかなかったわけですから。

選択肢があるぶん、悩むのです。

 

「だから最初から、検査は受けないことにしていた」

という夫婦が私のまわりではもっとも多いです。

次に、「異常があったら中絶するつもり」と検査を受ける夫婦が多い。

私みたいに、検査を受けるつもりで迷い始めた、という友人がいないのが意外でした。

みんな、意思が強いなぁ。

 

私が若ければ、もう一度、妊娠という可能性も高いから、まだ中絶を選ぶことができたかもしれません。

でも、もう次の妊娠は不可能だろうな、という高齢。

いや、そもそも若ければ、出生前検査なんてしません。

やっぱり、高齢だからこそ、ダウン症の確率が心配なのです。

 

一般的には、ダウン症よりも、それ以外の障害の確率のほうが高いそう。

だから、ダウン症の検査だけすることに意味はない、という人も多いんです。

でもね、でもね、不思議なことに、ダウン症以外の障害はまだ素直に受け入れられそうな気がするのです。

というのも、ダウン症には「私の年齢のせい」という負い目を感じてしまうから。

実際には、高齢の母親から生まれたダウン症児よりも、若い母親から生まれたダウン症児のほうが圧倒的に多いのが現実です。(若い母親の出産数のほうが多いから)

だから、高齢のせいだけじゃないというのはわかっているんだけど。

夫や親族に対して、そして生まれてくる子に対して、「ごめんね。私の卵子が古かったのね」という気持ちを持ってしまいそうなのです。

高齢で子どもをつくるということが、エゴだったんじゃないか、と。

 

こんなことを考えているのって、もしかしてマタニティブルー?

悩むだけ悩んだら、あるとき、急にふっきれました。

エゴで何が悪い?

子どもがほしいと思って何が悪い?

子どもができる年齢の間につくった。それって悪いことじゃないよね?

 

どんな子どもでも、障害があっても受け入れよう、と思える人はそうすればいいんです。

だからといって、出生前検査&中絶した人たちがひどいわけじゃないと思います。

中絶って文字にすると簡単だけれど、実際には陣痛促進剤の力で出産するのだそうです。

自分の力で、自分のお腹の中にいた子どもを生み落として、その子の亡がらを受け取って、火葬場に行く。どれほどつらいことなのでしょう。
それほどの決意をするには、その家庭ごとの深い事情があるはず。

私がそのつらさに耐えられそうかどうかは、検査結果を見たときの気持ちで決めよう。

まずは検査。それから考える。

ということで、夫にも合意をもらいました。

 

本来なら、中絶か妊娠継続かを決めてから検査を受けるべきなのだそうです。

冷静ではない一時の感情で重大な決意をするのは危険ですし、夫婦の意見が分かれても困りますしね。

ちなみにこの時点での、異常がわかった場合の対処への気持ちの比重は

【私】生む6:中絶4

【夫】生む2~3:中絶8~7

でした。

 

胎児に異常があるからといって、殺す権利があるのか?

このテーマについては、人によって考えが違うでしょう。

今の日本の法律では、基本的に中絶は禁じられています。

ところが「経済的にやむをえない事情」があれば、中絶していいのだそう。

現実に、中絶という選択肢がある以上、この国では胎児を殺す権利が親に与えられているのと同じです。

 

どんな女性だって、中絶なんて思い、味わいたくないですよ。

どんな事情があったって。

そのつらさを味わうのは、女性だけなんですよね。